知の巨人・山崎正和の全貌|名作『世阿弥』から死因と現代への遺言まで解説
山崎正和を語る上で欠かせないのが、メセナ(企業の文化支援活動)の先駆けとなったサントリー文化財団での主導的役割です。1970年代、サントリーの創業者一族である佐治敬三氏や開高健氏らと意気投合した山崎は、同財団の設立企画に深く参画。創設された「サントリー学芸賞」は、現在に至るまで若手研究者や気鋭の言論人を世に送り出す登竜門として絶大な権威を誇っています。
山崎の類まれな資質は、単に優れた文章を書くことだけにとどまりませんでした。異なる分野の学者、政治家、官僚、実業家、芸術家を引き合わせ、自由闊達に議論させる「サロン(社交の場)」をプロデュースする力に長けていたのです。
大平正芳首相が掲げた「田園都市国家構想」のブレインを務め、後には中教審会長として「総合的な学習の時間」の導入など教育改革をリードしました。官民の垣根を越えて日本の知性をネットワーク化した山崎の功績は、2006年の文化功労者選定、そして2018年の文化勲章受章という形で国家的に最高峰の評価を受けました。