日本の国旗「日の丸」に隠された意味とは?白赤の由来と歴史の真相

日本の国旗「日の丸」に隠された意味とは?白赤の由来と歴史の真相の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

太陽を描いた旗が「日本の象徴」として定着していく過程には、二つの決定的な歴史的転換点が存在します。それが中世の「源平合戦」と、幕末の「黒船来航」です。

平安時代末期、平氏と源氏が覇権を争った源平合戦において、双方は自軍を識別するために異なる色の旗を掲げました。平氏は朝廷の官軍を象徴する「赤地に金丸」の旗を用い、対する源氏は「白地に赤丸」の旗を掲げて戦いました。激闘の末に源氏が勝利を収めて鎌倉幕府を開いたことから、武家社会において「白地に赤丸」は天下統一と正統な武権の証として崇められるようになります。

その後、戦国時代には武田信玄や織田信長、徳川家康といった名将たちが「日の丸」の旗や扇を好んで用い、日本を代表する武威の印としての地位を確立していきました。現存する最古級の日の丸とされる山梨県甲州市・雲峰寺所蔵の「日の丸の御旗」は、源義光から武田家に代々伝わった家宝として知られています。

しかし、これが単なる武家の旗印から「国家の旗」へと飛躍したのは、19世紀半ばの幕末動乱期でした。1853年にマシュー・ペリー率いる米国の黒船が浦賀へ来航した際、幕府は外国船と日本船を洋上で明確に識別する必要性に迫られました。このとき、先進的な国際感覚を持っていた薩摩藩主の島津斉彬(しまづなりあきら)が、幕府の老中首座・阿部正弘に対して「日本の船には古来より用いられてきた白地に日の丸の旗を掲げるべきである」と強く進言したのです。

幕府はこの具申を受け入れ、1854年(安政元年)に「日本総船印」として日の丸を採用しました。さらに明治維新後の1870年(明治3年)、太政官布告第57号「商船規則」によって国旗としての規格が定められ、正式に日本の近代国家を象徴する旗として世界に向けて掲げられることとなりました。

関連記事