佐藤栄作のノーベル平和賞なぜ?受賞理由の裏にある核密約と功績の真相
佐藤栄作の受賞は、手放しの賞賛ばかりではありませんでした。むしろ発表直後から現在に至るまで、佐藤栄作のノーベル平和賞に対する批判は根強く存在します。
最大の激震が走ったのは、沖縄返還交渉の特使を務めた国際政治学者・若泉敬(京都産業大学教授=当時)が1994年に著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で明かした衝撃の告白でした。そこには、1969年11月の日米首脳会談において、佐藤首相とニクソン米大統領の間で交わされた「核持ち込み密約」の真相が赤裸々に記されていたのです。
合意文書には、「極めて重大な緊急事態が生じた場合、日本政府は事前協議が行われた際に核兵器の再持ち込みを認める」という趣旨の合意事項が明記されていました。この密約文書は佐藤首相自らが署名し、首相退任時に私邸へと持ち帰られていました。2009年から2010年にかけて外務省が実施した「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会」の公式調査でも、この文書の存在と密約の事実関係が正式に認定されています。
「核抜き本土並み」と国民に説明し、世界には「非核三原則」をアピールして平和賞を受賞しながら、裏では米軍の有事核持ち込みを容認していた二重構造に対し、国内外のメディアや有識者からは「欺瞞に満ちた受賞」「平和賞の権威を失墜させた」という厳しい批判が浴びせられました。
また、受賞当時の1974年時点でも、国内の左派勢力や一般世論からは冷淡な視線が注がれていました。佐藤政権が一貫してアメリカのベトナム戦争方針を支持し、沖縄の米軍基地機能を維持させ続けた「タカ派保守」であったことから、朝日新聞をはじめとする当時の大手報道各社も「なぜ平和運動の功労者ではなく、現職時代にベトナム特需を推進した政治家が選ばれるのか」と疑問符を投げかけていました。