竹内まりやと山下達郎の離婚説は本当?意外な馴れ初めと夫婦の真相を徹底解説
ふたりの出会いは、竹内まりやがシングル『戻っておいで・私の時間』で鮮烈なデビューを飾った1978年にまで遡ります。当時、同じレコード会社(RCA/RVC)に所属していたことからスタジオでの接点が生まれました。1979年の大ヒット曲『ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜』では、山下達郎がシングル用のアレンジを担当。当初はあくまで「極めて有能なアレンジャーと期待の新人シンガー」という純粋な仕事仲間に過ぎませんでした。
ふたりの年齢差は約2歳(山下達郎が1953年2月生まれ、竹内まりやが1955年3月生まれ)。学年では2年先輩にあたる山下は、音楽業界の荒波をすでに経験していた先達でもありました。デビュー直後からアイドル的な人気を博し、過密スケジュールによって心身ともに消耗していた竹内は、1981年末に活動休止を決断します。この人生の転換期において、親身に相談に乗り、彼女の音楽的才能を誰よりも信じて励まし続けたのが山下でした。
当時のインタビューや後年の手記によると、竹内が一人暮らしのマンションを引き払う際、一時的に山下の部屋へ身を寄せたことから自然と同棲生活へ発展したと語られています。華やかな芸能界の喧噪から離れ、日常の中で音楽と人生を共有するなかで絆は決定的なものとなり、1982年4月6日に入籍。都内の教会で執り行われた結婚式および披露宴には、大滝詠一をはじめとする名だたるミュージシャンが参列し、音楽シーンの歴史に刻まれる伝説の門出となりました。