竹内まりや、名門・慶応大学をなぜ中退?卒業直前の決断と秘話を徹底解説
読者の多くが最も関心を抱く疑問が、「名門・慶應大学の卒業証書を目前にしながら、なぜ中退を選んだのか」という点です。彼女が大学を去ったのは1979年の春。すでに4年次を終えようとする段階であり、あとわずかな単位の修得で正規卒業が可能な状況でした。
中退の直接的な契機となったのは、大学4年在学中の1978年11月25日にリリースされたシングル「戻っておいで・私の時間」およびアルバム『BEGINNING』による鮮烈なメジャーデビューです。伊勢丹のCMソングに起用されたデビュー曲は瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、彼女の日常は一夜にして激変しました。
当時の所属事務所やレコード会社は、アメリカ仕込みの英語力と抜群のプロポーションを併せ持つ彼女を「才色兼備の慶應女子大生シンガー」として猛烈にプロモーション。連日早朝から深夜までテレビの歌番組、ラジオの生放送、グラビア撮影、雑誌取材が詰め込まれ、日吉や三田のキャンパスへ通学する物理的時間が完全に消失しました。
後年のインタビューや自著において、本人は次のように当時の心情を述懐しています。
「試験を受けたくても物理的にキャンパスへ行けないスケジュールでした。両親からは『せめて大学だけは卒業してほしい』と懇願されましたが、中途半端な気持ちで大学に残ることも、音楽の現場に妥協を持ち込むことも自分には許せなかったのです」
名門大卒という肩書に固執せず、表現者として選ばれた過酷な現場へ全身全霊を捧げるための「自立の儀式」こそが、中退という決断の実像でした。