竹島はどこで何県?今さら聞けない正確な位置と歴史の真相を徹底解説

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領有権をめぐる対立の本質を把握するには、江戸時代から戦後のサンフランシスコ平和条約に至る歩みを整理しなければなりません。日本海における漁業権と主権の正当性を証明する一次資料が、数多く残されています。

江戸時代の初期、幕府公認のもとで鳥取藩の町人である大谷家・村川家が鬱陵島(当時の呼称は竹島)へ渡海する際、現在の竹島(当時の呼称は松島)は航海の要衝、アシカ漁やアワビ採取の良好な漁場として日常的に利用されていました。日本は遅くとも17世紀半ばには竹島の領有権を確立していたとされています。

近代に入り、オットセイやアシカ猟の乱獲を防ぎ事業を安定させるため、地元漁業者の中井養三郎氏が政府に編入を請願。これを受け、日本政府は1905年1月28日の閣議決定によって島名を「竹島」と定め、島根県隠岐島庁の所管としました。同年2月22日の島根県告示第40号によって島根県に編入され、近代国際法に基づく無主地先占の法理を満たす形で領有権の再確認が完了しました。島根県が毎年2月22日を「竹島の日」と定めているのは、この告示日に由来します。

決定的な転換点は第二次世界大戦後に訪れました。1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約の第2条(a)において、日本が権利・権原及び請求権を放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」が明記されましたが、ここに竹島は含まれませんでした。事前に韓国側が「竹島を放棄対象に含めてほしい」とアメリカ政府に要請したものの、米国務省は「竹島は朝鮮の一部として扱われたことはなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にある」と回答(いわゆるラスク書簡)し、韓国側の要求を明確に拒絶した事実が存在します。

条約発効直前の1952年1月18日、韓国の李承晩大統領が突如として国際法を無視した「海洋主権宣言」を公布し、いわゆる「李承晩ライン」を公海上に一方的に設定しました。このラインの内側に竹島を取り込み、翌1953年には韓国の民間組織「独島義勇守備隊」が駐屯を開始。1954年には警備隊を配置して灯台を設置し、現在に至る不法な実効支配を固定化させていった経緯があります。この過程でラインを越えた日本の漁船が多数拿捕され、死傷者が出る痛ましい事態へと発展しました。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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