中学から野球を始めたプロ野球選手!遅咲きでも大成功できた衝撃の理由とは
世間一般には「幼少期からの英才教育の賜物」と思われがちな超一流選手たちですが、その生い立ちとインタビュー資料を再検証すると、驚くべき実像が浮かび上がってきます。
落合博満の中学時代経歴|既成概念に縛られない独自の打撃探求
日本プロ野球史上初にして唯一、3度の三冠王に輝いた落合博満の中学時代経歴は、型破りそのものでした。秋田県南秋田郡若美町(現・男鹿市)で生まれ育った落合氏は、小学生時代は長距離を泳ぎ込む水泳や卓球に熱中し、地域の映画館に通い詰める日々を送っていました。若美中学校に入学してから軟式野球部に入部したものの、当時の指導者が教える画一的なダウンスイングや精神論に強烈な違和感を抱き、部活をサボっては映画を観たり卓球に興じたりしていたという逸話は自著でも率直に回顧されています。
落合氏がのちに「神主打法」と呼ばれる究極の脱力スイングを確立できた背景には、学童野球特有の「上から叩け」「右打者は右足を動かすな」といったステレオタイプの指導に染まらなかったことが挙げられます。卓球のスピンコントロール感覚や、腕の力を抜いて遠心力でボールを運ぶ直感を、自らの肉体が急成長する中学期に主体的に獲得したことが、唯一無二のバッティング技術へと結実しました。
金本知憲中学スタートの真相|「落ちこぼれ」から世界記録保持者へ
広島東洋カープおよび阪神タイガースで不動の主砲として君臨し、1492試合連続フルイニング出場という不滅の世界記録を打ち立てた金本知憲中学スタートの真相も、エリート街道とは対極にありました。小学生時代は近所の町内ソフトボールで球遊びをする程度で、厳格な硬式リトルリーグの経験は皆無でした。本格的に白球を握ったのは、広島市立大田中学校の軟式野球部に入部してからです。
入部当初の金本氏は決して目立つ存在ではなく、高校進学の際も強豪・PL学園のセレクションを受験するものの落選を経験しています。広陵高校、東北福祉大学とステージが上がるにつれて驚異的なウェイトトレーニングで肉体を鍛え上げ、「鉄人」と呼ばれるまでに登り詰めました。金本氏は後の対談で「小・中学校の頃に目一杯投げて肩や肘を壊していなかったからこそ、プロに入ってからどれだけ振り込んでも耐えられる頑丈な体が残っていた」と述懐しています。
能見篤史軟式テニスからプロ野球|しなやかなフォームの源流
美しいワインドアップと精密な制球力で阪神タイガースの左のエースとして長年活躍した能見篤史軟式テニスからプロ野球への転身劇は、マルチスポーツの好例としてスポーツ指導者の間でも頻繁に引用されます。兵庫県香住町出身の能見氏は、小学生時代に軟式テニス(ソフトテニス)に打ち込んでおり、野球チームには所属していませんでした。野球を始めたのは香住中学校の軟式野球部に入ってからです。
テニスのフォアハンドやサービスで求められる「下半身からの体重移動」「胸郭の回旋」「インパクト直前まで手首のコックを保つスナップ動作」は、左投手のピッチングメカニクスと高い親和性を持ちます。小学校期にテニスボールを追うフットワークを身につけたことで、過度な肘への負担をかけずに全身を連動させるしなやかな投球フォームが中学時代に自然と構築されました。遅咲きスタートであったがゆえに、40歳を超えても140km/h台後半のストレートを投げ続けられる耐久性を維持できたのです。