中曽根康弘の評価はなぜ割れるのか?功績と批判から読み解く光と影
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中曽根行革の最大の金字塔とされるのが、日本国有鉄道(国鉄)の分割・民営化です。当時、赤字ローカル線の増設や放漫経営、労働組合の過激な闘争により、国鉄の債務は約37兆円という天文学的数字に達していました。郵便ポストが赤いのをもじって「国鉄も赤い」と揶揄された時代、中曽根氏は「民間にできることは民間に委ねる」という徹底した合理主義を持ち込みました。
民営化の功績は明白です。JR東日本やJR東海などを筆頭に、民間企業としての創意工夫によりサービスの質は劇的に改善しました。駅ナカビジネスの台頭や定時運行の徹底など、世界に誇る鉄道インフラ網が確立されたことは否定できません。
しかし、その陰で払われた代償は小さくありませんでした。後年の回想録において中曽根氏自身が「国労(国鉄労働組合)を解体し、総評を崩壊させる意図があった」と語った通り、民営化の裏には強力な左派労働運動を無力化する政治的意図が存在しました。解雇や不当配転を巡る労働争議は泥沼化し、現場の分断とコミュニティの喪失を招きました。さらに、北海道・四国・九州といった「三島会社」の経営基盤の脆弱さや、採算の取れない地方路線の相次ぐ廃線は、地方創生を阻む深刻な交通空白地帯を生み出しました。棚上げされた25.5兆円の債務処理費用は、最終的に国民負担へと転嫁されています。
経済面におけるもう一つの痛烈な批判は、バブル経済を狂乱化させた責任です。1985年の「プラザ合意」以降、急激な円高ショックに見舞われた日本経済を救うため、内閣は「民活(民間活力の導入)」を旗印に規制緩和を推進しました。都市部での容積率緩和や国有地(汐留貨物駅跡地など)の高値売却、そして日銀に対する金融緩和要請の長期化が重なりました。
公定歩合2.5%という歴史的な超低金利政策が放置され続けた結果、市場に溢れた過剰マネーは株式や不動産市場へとなだれ込みました。中曽根内閣の任期末期から竹下内閣にかけて膨れ上がった資産バブルは、やがて1990年代初頭に破裂し、「失われた30年」と呼ばれる長期停滞の直接的な引き金となりました。短期間の景気浮揚を優先し、資産バブルの抑制にブレーキを踏まなかった経済運営の甘さは、現在も経済学者から厳しい検証の対象とされています。