斎藤龍興は暗君か?信長を苦しめた美濃若き当主の真実と壮絶な最期
本拠地を失った戦国大名の多くは歴史の表舞台から姿を消しますが、斎藤龍興の真骨頂はここから発揮されます。長島に逃れた龍興は、一向一揆勢力や三好三人衆と連携を深め、打倒信長の機会を虎視眈々と狙い続けました。
永禄12年(1569年)には、三好三人衆とともに京都の本圀寺にいた室町幕府15代将軍・足利義昭を急襲(本圀寺の変)。信長の電撃的な上洛によって退けられたものの、畿内を震撼させる軍事行動を起こしています。さらに龍興は越前の名門・朝倉義景を頼り、その客将として迎え入れられると、石山本願寺や浅井長政、武田信玄らを結ぶ「信長包囲網」の重要パイプ役として東奔西走しました。一度敗れた男が見せたこの規格外の執念と外交手腕は、信長にとっても終生無視できない脅威であり続けたのです。