野村沙知代の壮絶な生涯と死因の真相|愛憎と波乱の全記録
野村沙知代氏(旧姓・芳松)は1932年(昭和7年)、福島県西白河郡矢吹町に生まれました。終戦直後の混乱期、米軍基地周辺で通訳や物資調達などの仕事に携わる中で、若くして英語力を身につけます。若い頃の写真には、西洋風の華やかな装いと勝気な眼差しが印象的に残されており、激動の昭和を生き抜く強靭なバイタリティの萌芽がすでに見て取れました。
最初の夫である米軍将校アルヴィン・エンゲル氏との間に、長男・ダン野村(ダン・エンゲル)氏と次男・ケニー野村(ケニー・エンゲル)氏をもうけた沙知代氏。しかし、その運命を大きく変えたのが、1970年に高級中華料理店で偶然言葉を交わしたプロ野球のスター選手、野村克也氏との出会いでした。
当時、克也氏には家庭があり、沙知代氏も法的には婚姻関係が継続していたため、関係はW不倫からスタートしました。二人の結びつきは急速に深まり、1973年には三男・野村克則氏が誕生します。しかし、沙知代氏が南海ホークスのチーム運営や選手起用に口を出し始めたことで、球団内は紛糾。1977年、克也氏は「公私混同」を理由に選手兼任監督を電撃解任される事態へと発展しました。克也氏は球団からの「女を取るか、野球を取るか」という迫害に対し、迷わず沙知代氏を選び、1978年に前夫との離婚成立を経て正式に再婚を果たしました。