岩崎弥太郎と三菱の真実|極貧地下浪人から巨大財閥を築いた男の軌跡
Q1:岩崎弥太郎と坂本龍馬は本当に仲が悪かったのですか?
A1:不仲というよりは「ビジネス上のシビアな利害関係」にありました。海援隊の放漫な経理に頭を痛めた弥太郎と、大局のために資金を要求する龍馬の間で激しい議論は絶えませんでしたが、長崎で酒を酌み交わし互いの才を認め合っていた記録が弥太郎の日記に残されています。
Q2:三菱のスリーダイヤのマークはどのようにして決まったのですか?
A2:土佐藩主・山内家の家紋である「三つ柏」と、岩崎家の家紋である「三階菱(さんかいびし)」を重ね合わせて考案されました。九十九商会の船旗として使われ始めたものが、その後の三菱商会、郵便汽船三菱会社へと引き継がれ、現在のシンボルマークとして定着しました。
Q3:なぜ岩崎弥太郎は長男ではなく弟の弥之助を2代目に指名したのですか?
A3:弥太郎が50歳で没した当時、長男の久弥はまだ20歳前後の若年であり、渋沢栄一率いる共同運輸会社との熾烈な海運戦争の真っ只中にありました。三菱の存亡をかけた危機を乗り切るため、国際感覚と沈着冷静な経営力を持った実弟の弥之助に総帥の座を託したとされています。