ヴィルヘルム2世の真相|帝国崩壊と大戦を招いた劣等感と哀しき末路
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ドイツ帝国最後の皇帝ヴィルヘルム2世は一体なぜ大戦を引き起こしたのか。その核心には、彼の情緒不安定な性格と、度重なる「失言外交」が引き起こした破滅的な相互不信があります。
ヴィルヘルム2世は、公の席で軽率な発言を繰り返す悪癖がありました。代表例が1908年の「デイリー・テレグラフ事件」です。英紙の私的インタビューに応じた皇帝は、「ドイツ国民の大多数は反英的だが、私自身はイギリスに好意的な友人である」と主張し、過去のボーア戦争でも自分がイギリスを助ける軍事作戦を立案したなどと荒唐無稽な自慢話を展開。このインタビューは英国内外で激しい反発を呼び、イギリス国民には「信用ならない二枚舌」と受け止められ、ドイツ国内でも「皇帝の越権行為」として激しい非難を浴びました。この失態によって皇帝の権威は失墜し、彼は一時的に深い鬱状態に陥りました。
そして1914年6月28日、運命のサラエボ事件が発生します。オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者夫妻がセルビアの民族主義者に暗殺された報せを受けた皇帝は、盟友オーストリアに対して無条件の支援を約束する、いわゆる「白紙小切手(ブランク・チェック)」を発行しました。これが第一次世界大戦の決定的な導火線となります。
しかし近年の外交史料検証によれば、ヴィルヘルム2世自身は全ヨーロッパを巻き込む総力戦を本気で望んでいたわけではありませんでした。セルビアがオーストリアの最後通牒に対して妥協的な返答をしたことを知ると、皇帝は「これで戦争の口実はすべて消え去った」と安堵し、オーストリア軍の進軍停止を模索しました。さらに開戦前夜には、従兄弟であるロシア皇帝ニコライ2世と親電を交わし(「ウィリー・ニッキー電報」)、土壇場で破局を回避しようと試みています。
だが時すでに遅く、情勢は一国の君主の手を離れていました。シュリーフェン・プランに基づく厳密な鉄道輸送と動員スケジュールを盾に取ったドイツ軍参謀本部(モルトケ参謀総長ら)は、「いま動員を止めれば軍が壊滅する」と主張し、皇帝の動揺を一蹴。軍事的合理性の名のもとに、自ら仕掛けた歯車を止められなくなったのです。開戦後、ヴィルヘルム2世の実権は急速に形骸化し、ルーデンドルフやヒンデンブルクら陸軍中枢部による事実上の軍事独裁体制の中で、皇帝は「お飾り」の地位へと追いやられていきました。