ミルメークの地域差はなぜ?給食で「未経験」の県がある衝撃の理由を徹底解説
ミルメークを語る上で欠かせないのが、製造元である大島食品工業株式会社(愛知県名古屋市守山区)の開発ドラマです。昭和40年代初頭、学校給食が脱脂粉乳から生乳(牛乳)へと切り替わる過渡期において、子どもたちの「牛乳離れ」とカルシウム不足を危惧した栃木県の学校給食会から、「子どもがおいしく飲めて、栄養を補える製品を作れないか」と打診されたことがすべての始まりでした。
1967年(昭和42年)、粉末タイプの初代ミルメーク(コーヒー味)が誕生。カルシウムやビタミンを強化した栄養機能補助食品として瞬く間に全国の給食現場へ広がりました。しかし、昭和50年代に入ると最大の危機が訪れます。全国の学校給食で「ガラスビン牛乳」から「紙パック牛乳(テトラパックや三角パック、屋根型パック)」への移行が急速に進んだことです。
ビン牛乳であればキャップを開けて粉末を投入し、ストローでかき混ぜるだけで簡単に溶かせました。ところが、紙パックは開口部が狭く、ストロー穴から粉末を流し込もうとすると机の上にこぼれたり、紙パックの表面に粉が付着して固まったりする事故が多発。現場の教員や栄養士から「掃除が大変で授業時間が削られる」とクレームが相次ぎ、紙パックの導入を機にミルメークの採用を打ち切る自治体が続出しました。
この存亡の危機を救ったのが、大島食品工業の執念が生んだ「液体チューブタイプ」の開発です。試行錯誤の末、練乳状に濃縮した液体をプラスチックチューブに充填し、先端をちぎって紙パックのストロー穴に直接差し込み、注入できる画期的な構造を完成させました。これによりパック牛乳でも手や衣服を汚さずに素早く混ぜることが可能となり、一度は離反した給食市場でのシェアを劇的に奪還することに成功したのです。