三島由紀夫切腹写真の真相|市ヶ谷駐屯地事件の現場記録と流出説を追う
ネット検索を中心に根強く囁かれる「三島由紀夫の切腹写真」というキーワードですが、その真偽を正確に切り分けるには、撮影のシチュエーションと写真の種別を精査する必要があります。結論から言えば、「三島が腹を切り裂いている瞬間の写真」は一切存在しません。割腹が行われた陸上自衛隊東部方面総監部の総監室は完全に封鎖された密室であり、現場にいたのは三島率いる「楯の会」のメンバー4名と人質に取られた益田兼利総監のみでした。外部の報道陣や自衛隊員がその瞬間を撮影できる状況にはなかったのです。
しかし、「割腹直後の凄惨な現場写真」および「切断された頭部(首級)の写真」となると話は全く異なります。これらは疑いようのない事実として実在します。事件発生直後、警視庁鑑識課や四谷警察署の捜査員が現場へ突入した際、絨毯の上に残された凄惨な血痕とともに、三島由紀夫と森田必勝の遺体が詳細に記録されました。
三島事件の現場写真は、当時どのような形で世に出たのでしょうか。事件直後の新聞報道や週刊誌各社の動きを追うと、驚くべき事実が浮かび上がります。当時、国内の一般紙は凄惨すぎる遺体写真の掲載を自主規制したものの、一部の写真週刊誌や海外のグラフ誌(米『LIFE』誌や仏『Paris Match』誌など)が、総監室の床に並べられた三島と森田の生首写真を掲載し、世界中に流通しました。さらに、当時の警察関係者や報道関係者のルートから流出したとされるモノクロのスナップが、アンダーグラウンドな出版物や後年のネット空間へ転載され続けてきたのが「切腹写真流出説」の正体です。