清水建設創業者の正体とは|宮大工の血脈と渋沢栄一が拓いた220年
清水建設の歴史を調べる際、多くの人が混同しやすいのが「初代喜助」と「二代喜助」の功績です。大工組織としての基盤を作ったのが初代であるならば、近代的な建設請負業者へと脱皮させたのは二代清水喜助でした。
二代喜助は、初代の娘婿(旧姓・藤沢喜三郎)として清水家に迎え入れられた人物です。初代の薫陶を受けて腕を磨いた彼は、1859年(安政6年)の横浜開港という歴史的転換期に勝機を見出します。幕府が設置した開港場へいち早く乗り込み、外国人居留地の建設需要を独占的に引き受けました。
二代喜助の真骨頂は、西洋建築に対する貪欲な探究心にありました。当時、日本には西洋建築の図面も工法も存在しません。彼は居留地の異人館を自らの足でスケッチし、間取りや構造を実測。日本の伝統的な木造軸組構造に西洋のデザインや石造・漆喰技術を融合させた擬洋風建築を独自に編み出したのです。
その最高傑作として日本建築史に輝くのが、1872年(明治5年)に竣工した第一国立銀行建築(兜町)です。木骨石造の構造にベランダコロニアル様式、そして最上部に和風の天守閣のような塔屋を冠した威容は、東京の新名所として錦絵に描かれ、文明開化の象徴となりました。二代喜助は、伝統大工を「近代的アーキテクト(建築家・施工者)」へと進化させた先駆者だったのです。