太皷谷稲成神社「稲成」の真相と千本鳥居の驚くべきご利益を徹底解説
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全国に3万社以上存在するとされる稲荷神社のなかで、「いなり」の文字に「成」を充てる神社は極めて異例です。その発祥は江戸時代中期、安永2年(1773年)に遡ります。
津和野藩第7代藩主・亀井矩貞(かめいのりさだ)公が、藩の安泰と領民の平穏無事を祈願するため、京都の伏見稲荷大社から城の鬼門(東北)にあたる太皷谷の峰に神霊を勧請したのが始まりです。この際、矩貞公は単なる五穀豊穣にとどまらず、「領民のあらゆる願い事が成就するように」「すべての望みが成るように」という強い祈願を込め、神名に「稲成」の文字を充てました。
当時の稲荷信仰は武士階層や城内にとどまるケースも多かったなか、太皷谷稲成神社は領民にも広く参拝が許され、篤い崇敬を集めました。近代以降は「願望成就」「開運厄除」「失せ物発見」の神として全国へ信仰が広がり、伏見稲荷大社(京都)、笠間稲荷神社(茨城)、竹駒神社(宮城)、祐徳稲荷神社(佐賀)などとともに日本五大稲荷の一社として数えられるに至っています。