なぜ英帝国は同盟を拒んだ?19世紀「光栄ある孤立」の真相と終焉を徹底解説

なぜ英帝国は同盟を拒んだ?19世紀「光栄ある孤立」の真相と終焉を徹底解説について知っておくべき ポイントを分かりやすい構成で解説いたします。

歴史の教科書で頻出する「光栄ある孤立とはわかりやすく」言えば、「欧州大陸のいかなる国とも平時における恒久的な軍事同盟を結ばず、自国の国益に応じて自由に行動する」というイギリス外交方針を指します。この言葉自体は1896年1月、カナダの国会議員ジョージ・フォスターが英議会での演説を称賛する中で「大英帝国は光栄ある孤立を保っている」と発言したことが契機となり、当時の植民地相ジョゼフ・チェンバレンらが対外アピールとして積極的に用いたことで定着しました。

ナポレオン戦争が終結した1815年のウィーン会議から1902年の日英同盟締結に至るまでの約1世紀、ヴィクトリア朝イギリスは文字通り世界の中心に君臨していました。この時代は「パクス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」と呼ばれ、産業革命によって世界第一の工業国となったイギリスが、世界の工場・世界の銀行として君臨した絶頂期です。

なぜイギリスは頑なに同盟を拒んだのか。当時の首相・外相を兼任したソールズベリー侯爵(ロバート・ガスコイン=セシル)が遺した外交メモランダム(1901年)には、その本質が極めて率直に記されています。

「孤立は、我が国に危機が迫っていない平時においては、何ら恐れるに足りない。むしろ特定の同盟に拘束されることこそが、英国を予測不能な大陸の戦争へと引きずり込む最大の危険である」

かつて外相ヘンリー・パーマストンが放った名言「大英帝国には永遠の同盟国もいなければ、永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益のみである」という思想そのままに、イギリスは平時の同盟という手枷足枷を嫌いました。大陸で特定の超大国が台頭して覇権を握りそうになれば、劣勢な側に味方して均衡を回復させ、事態が収まればサッと手を引く。海という天然の要塞に守られた島国だからこそ可能な、究極のフリーハンド外交だったのです。

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