なぜ名門令嬢が私財を投げ打った?障害児教育の母・石井筆子の衝撃の真相

なぜ名門令嬢が私財を投げ打った?障害児教育の母・石井筆子の衝撃の真相の疑問点について、最新情報を詳しくお届けします。

運命に導かれるように筆子が出会ったのが、濃尾地震の孤児救済をきっかけに日本最初の知的障害児教育施設「滝乃川学園」を立ち上げていた石井亮一でした。筆子は愛娘の幸子を同学園に入園させ、自身も運営を支援するようになります。

1903年(明治36年)、志を同じくする二人は再婚。筆子は華族階級の華麗な生活を完全に捨て去り、実家からの莫大な持参金や私財のすべてを滝乃川学園の経営と教育環境の整備に注ぎ込みました。

しかし、学園を待ち受けていたのは過酷な現実でした。1920年(大正9年)には園舎が全焼し、園児6名が犠牲となる痛ましい火災事故が発生。世間からの猛烈な批判と自責の念に苛まれながらも、夫妻は「この子たちを見捨てることはできない」と立ち上がり、全国を巡って寄付を募り、学園を再建させました。華族出身のプライドを脱ぎ捨て、泥まみれになって子どもたちと暮らす筆子の姿は、多くの人々の心を動かしていったのです。

関連記事