なぜ大英帝国は孤立を捨てたのか?19世紀後半「栄光ある孤立」外交の真相

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栄華を極めたイギリスの覇権に、致命的な綻びが生じた契機は1890年代末に訪れました。最大のトリガーとなったのが、南アフリカで勃発した第二次ボーア戦争の影響(1899〜1902年)です。

オランダ系移民の子孫であるボーア人が建国したトランスヴァール共和国とオレンジ自由国に対し、イギリスは金鉱脈などの利権を狙って軍事侵攻を開始しました。大英帝国軍は当初、数カ月で鎮圧できると高をくくっていましたが、ゲリラ戦を展開するボーア軍に大苦戦を強いられます。最終的にイギリスは兵力約45万人を投入し、焦土作戦や民間人を収容所に強制隔離するという非人道的な手段を用いて勝利をもぎ取ったものの、支払った代償は莫大でした。

英国公式統計によると、戦費は2億ポンド以上に膨れ上がり、2万2,000人を超える英軍将兵の命が失われました。さらに深刻だったのは、国際世論からの凄まじい糾弾です。ドイツ、フランス、ロシアをはじめとする欧州列強だけでなく、世界中の世論がイギリスの横暴を激しく非難しました。当時の英国内の新聞や論壇では、「かつて誇った孤立は、もはや栄光ではなく、ただの危険な孤独(Dangerous Isolation)に成り下がった」という自省の声が噴出しました。

折しも1890年にビスマルクが失脚したドイツでは、ヴィルヘルム2世が世界政策(親政)を掲げ、ティルピッツ海相のもとで艦隊法の制定を連発。ロイヤル・ネイヴィーの本拠地である北海を脅かす大建艦競争を仕掛けてきました。重化学工業の生産力でアメリカやドイツに追い抜かれつつあったイギリスにとって、二国標準主義を単独で維持し続けることは、財政的に不可能な領域へと突入していたのです。大英帝国の覇権衰退は、軍事と経済の両面から現実の脅威として迫っていました。

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