木嶋佳苗の本は何を語るのか?獄中手記と小説から迫る狂気と現在

木嶋佳苗の本は何を語るのか?獄中手記と小説から迫る狂気と現在について押さえておきたい ポイントを分かりやすく解説いたします。

木嶋佳苗が自らペンを執った書籍を読んだ者が一様に受けるのは、激しい違和感と圧倒的な自己愛の奔流です。反省や後悔、被害者への贖罪といった言葉を期待してページを開くと、その予想は冒頭から裏切られます。

2015年に刊行された自伝的小説『礼讃』(角川書店)および続編の『愛玩』において、彼女は自らを単なる容疑者・被告人としてではなく、男性たちを性愛と料理の腕前で骨抜きにし、意のままに操る「特別な存在」として描きました。文章は格調高いクラシックな語彙を多用し、北海道の裕福な家庭で育った少女時代から、上京後にパパ活や愛人契約を通じて優雅な生活を手に入れていく過程が、官能的かつ誇らしげに語られています。法廷で検察側が暴いた「金銭に困窮し、嘘を重ねて男性を殺害した」という人物像とは真向から対立する、徹底的に自己演出された虚像がそこにあります。

また、支援者の手によって運営されていたブログ「木嶋佳苗の拘置所日記 遺言」をベースにした『拘置所日記』では、塀の中の生活が驚くほど淡々と、かつ執拗なディテールとともに記録されています。拘置所で提供される粗末な食事に対する容赦ないダメ出し、差し入れられた高級食材やスイーツへの情熱、弁護人や看守の品定めなど、自らの生活水準と矜持を決して落とさない姿勢が貫かれています。公判廷で見せた「堂々とした態度」そのままに、文字の世界でも彼女は一貫して自らを支配者として位置づけ続けました。

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