明暦の大火はなぜ起きた?死者10万人と「振袖火事」伝説の真相を徹底解説
明暦の大火における死者数は一般に10万人(当時の江戸人口の約4分の1から3分の1)と伝えられています。これほどまでに犠牲者が膨れ上がった最大の現場が、浅草御門(現在の浅草橋付近)でした。
当時、小伝馬町の牢屋敷で囚人が逃走したという誤報が伝わり、浅草御門の番人が門を固く閉ざしてしまいました。神田・日本橋方面から家財道具を積んだ荷車を押して避難してきた民衆数万人が門前に殺到し、背後から迫る猛火と押し寄せる群衆の圧力によって、圧死および焼死による凄惨な地獄絵図が展開されたのです。
その一方で、歴史に名を残す英断もありました。小伝馬町の牢屋奉行であった石出帯刀(いしでたてわき)は、火の手が牢屋敷に迫った際、「このままでは囚人全員が焼け死ぬ」として、独断で囚人たちを一時的に解き放つ「切り放ち」を決断しました。「火が鎮火した後に必ず自首せよ。戻れば罪一等を減じるが、逃亡すれば厳罰に処す」と言い渡された囚人たちは、後日全員が約束を守って出頭したと伝えられています。