谷崎潤一郎最後のミューズ渡辺千萬子の実像|瘋癲老人日記のモデルと愛憎劇
渡辺千萬子は1929年(昭和4年)、京都に生まれました。同志社大学文学部を卒業後、京都大学文学部仏文科の研究室助手として勤務するなど、当時の日本人女性としては際立った教養と語学力を備えた知性派でした。残された若い頃の写真を見ても、切れ長の涼やかな目元とモダンな洋装を着こなす抜群のスタイルが目を引き、古都の伝統美と西洋的な洗練を併せ持った類まれな存在感を放っています。
谷崎家との接点が生まれたのは、1956年(昭和31年)のことです。谷崎潤一郎の正妻である谷崎松子の連れ子(根津清太郎との長男・渡辺清治)の息子である渡辺億彦と結婚したことにより、千萬子は谷崎の「義理の孫嫁」として一族に迎え入れられました。
当時の谷崎家は、松子夫人を中心に京都の洛北や熱海を往来する優雅な文化サロンを形成していましたが、すでに70歳を過ぎ高血圧や狭心症に苦しんでいた潤一郎にとって、突如として身内に現れた若く美しい千萬子は、枯れかけていた生命力と官能を再び燃え上がらせる決定的な触媒となったのです。