ミュージックステーション歴代司会者の交代劇!初代Mcの降板理由と真相とは
ミュージックステーション歴代司会者の交代劇!初代Mcの降板理由と真相とはの全貌を分かりやすくまとめてご紹介します。
現在でこそ「タモリの番組」として知られるMステですが、1986年10月の立ち上げ当初、司会席に座っていたのは関口宏でした。当時、久米宏を起用した『ニュースステーション』が空前の大ヒットを記録しており、テレビ朝日局内には「ステーション」の名を冠した大型生番組で金曜20時枠を制圧しようという強固な戦略が存在していました。
しかし、初代司会者関口宏はわずか半年、実質21回の放送で降板することになります。その降板理由の真相について、当時の関係者やメディアの記録は「番組コンセプトの不一致」を挙げています。関口宏が得意とするのは、社会情勢やカルチャーを冷静に掘り下げる知的な情報トークでした。一方で、当時の音楽シーンはおニャン子クラブをはじめとするアイドルブームやバンドブームの黎明期にあり、生放送スタジオは熱気と混沌に満ちていました。
関口自身、後年のインタビューなどで「自分は流行のポップス音楽を専門的に扱える司会者ではない」という趣旨の戸惑いを抱いていたことを吐露しています。視聴率も初回から1桁台へと低迷し、制作陣は番組存続を懸けて抜本的なリニューアルを決断せざるを得ませんでした。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時『笑っていいとも!』で昼の帯番組を支配していたタモリでした。タモリMステ就任経緯の鍵を握っていたのは、当時のプロデューサー陣による「音楽通でありながら、音楽を語りすぎない司会者」という逆転の発想です。タモリは自身が熱狂的なジャズ愛好家であり、トランペット演奏や音楽理論に深い造詣を持ちながら、テレビでは決してそれを押し付けません。
1987年4月、タモリが就任した第1回放送で提示されたのは、アーティストに対して説教や批評を一切せず、隣に座って世間話を交わす「脱力と傾聴の美学」でした。この姿勢が、緊張しがちなミュージシャンたちの警戒心を解きほぐし、他の歌番組では見られない本音やリラックスした笑顔を引き出すことにつながったのです。