陸奥親方の現在と陸奥部屋閉鎖の真相|元大関霧島の足跡と弟子の移籍先
陸奥親方の指導者としての手腕を語る上で欠かせないのが、現役時代の元大関・霧島一博としての異色の経歴です。
鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の霧島は、1975年に井筒部屋に入門しました。当時の相撲界では「とにかく飯を食って太る」ことが正義とされていましたが、入門時の霧島は体重わずか70kg台前半。どれだけ食べても太りにくい体質に悩み、幕下や十両への昇進に長い歳月を要しました。
転機となったのは、当時の角界ではタブー視すらされていた徹底的なウエイトトレーニングの導入でした。「太れないなら筋肉をつけるしかない」と腹をくくった霧島は、ベンチプレスやスクワットで強靭な筋力を鍛え上げ、体脂肪を極限まで削ぎ落とした彫刻のような肉体を作り上げました。
その結果、30歳を過ぎてから開花するという相撲界では異例の遅咲きで快進撃を続けました。1990年春場所後に30歳11か月で大関へ昇進。さらに1991年初場所では、千秋楽で横綱・千代の富士を破り、14勝1敗で念願の幕内最高優勝を果たしました。土俵際で見せる豪快な吊り出しや下手投げ、そして端正なルックスは女性ファンをも魅了し、昭和末期から平成初期の相撲ブームを牽引するスーパースターとなったのです。