貴乃花の兄・花田虎上の現在と絶縁の真相|若貴確執の理由と現在
かつて「仲の良い天才兄弟」として日本中から愛された二人が、なぜ修復不可能な絶縁状態へと至ったのか。その経緯を時系列で辿ると、単なる兄弟喧嘩の域を超えた3つの構造的要因が浮かび上がります。
1. 若貴ブームの過熱と「資質・相撲観」の根本的な違い
1988年春場所、二子山部屋(旧・藤島部屋)から同時に初土俵を踏んだ二人は、瞬く間に大相撲の主役に登り詰めました。しかし、入門当初から二人の相撲に対する哲学は対照的でした。天性の相撲勘と驚異的な稽古量で「横綱の美学・道」をストイックに追求した弟・貴乃花に対し、兄の若乃花は少年時代にアメフトや野球を志向し、怪我と闘いながら技術と工夫(お兄ちゃんの多彩な技)で勝ち上がった現実派でした。
「相撲道」を神聖視する弟と、「プロスポーツ・興行」として客観的に捉える兄。この資質の違いは、メディアが煽る「兄弟ライバル関係」の中で徐々に心の溝を深めていきました。
2. 1998年の洗脳報道と部屋継承をめぐる不信感
兄弟の亀裂が公の場に露出した最初の契機が、1998年に勃発した「貴乃花洗脳騒動」です。特定の整体師への傾倒を巡り、師匠である父や家族との関係が急速に冷却化しました。この時期、貴乃花は公の会見で兄の相撲内容について「自分の相撲道とは相容れない」という趣旨の異例の苦言を呈し、二人の関係悪化は決定的な局面を迎えました。
3. 2005年 父・貴ノ花利彰の死去と遺産・葬儀をめぐる決裂
決定打となったのは、兄弟の精神的支柱であった元大関・貴ノ花(二子山親方)の逝去です。2005年5月、父の死去直後から葬儀の喪主の選定、年寄株の承継、さらには数億円規模と報じられた遺産相続を巡って激しい対立が勃発しました。弟・貴乃花が兄や母に対して強い不信感を露わにし、テレビの生放送や独占インタビューを通じて花田家との決別を宣言。ここに至り、二人の関係は「完全な絶縁」へと固定されました。