昭和の終戦記念日はなぜ8月15日なのか?玉音放送と降伏の真相を追う
「なぜ終戦記念日はこれほど重大な日なのに、カレンダー上の国民の祝日(赤口・休日)にならないのか」という疑問は、毎年のようにSNSや知恵袋などで盛んに議論されます。ゴールデンウィークの「みどりの日」や「こどもの日」、秋の「文化の日」「勤労感謝の日」などは休日であるにもかかわらず、終戦の日は平日扱いのままです。
この謎を紐解く鍵は、昭和23年(1948年)に制定された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の成立史にあります。
祝日法が審議された際、日本はGHQの占領下にありました。法案作成過程において、8月15日を休日に設定する案は早い段階で見送られました。理由は主に二つあります。第一に、「祝日」とは本来、国家的な慶事や祝福すべき事柄を記念する日であるという法意です。未曾有の犠牲と破壊を伴った「敗戦の日」を国民こぞって「祝う」ことに対して、当時の国民感情および政治家の間に強い抵抗感がありました。
第二に、GHQ側の警戒感です。敗戦記念日を国民の休日として定着させることで、軍国主義への復古感情や対米感情の再燃を招くことを占領当局が忌避した背景が、公的審議録からも読み取れます。
戦後、遺族会や超党派の議員団から「平和を祈念する祝日として休日に指定すべきだ」という請願が幾度となく出されました。しかし、8月中旬は既に日本全国で「お盆休み」の慣行が深く定着しており、多くの企業や官公庁が実質的な夏季休暇期間に入っているという社会通念も影響しました。結果として、昭和57年(1982年)の鈴木善幸内閣において、祝日法を改正するハードルを避け、閣議決定によって「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と定める政治的妥協が図られたのです。