海老蔵の母・堀越希実子の現在とは?成田屋を支えた壮絶人生の真実の具体的な内容に迫る! 専門的な視点でまとめました。
希実子さんの若い頃を振り返ると、生粋の令嬢としての出自が際立ちます。実家は東京・青山で手広く事業を展開していた実業家の家系で、恵まれた環境で育ちました。学習院初等科から高等科を経て学習院大学フランス文学科に進学(のちに中退)という、非の打ちどころのない経歴を持っています。
1976年、当時「貴公子」として絶大な人気を誇っていた十代目市川海老蔵(後の十二代目團十郎)と見合い結婚。名門・成田屋の嫁として華々しいスタートを切ったかに見えましたが、ここから過酷な運命が始まります。
十一代目團十郎の急逝に伴う相続問題や、親族が経営していた企業の倒産、バブル崩壊による保証人債務などが重なり、成田屋は推計約19億円から20億円にのぼる莫大な借金を抱えることになりました。担保として自宅を差し押さえられる危機の中、希実子さんは逃げ出すことなく、自らの才覚で家計を支える決意を固めます。
年代・ライフステージ出来事・直面した課題希実子氏の対応・数値データ編集部の見解・評価1970年代(20代)
名門成田屋へ嫁入り青山の実家を出て梨園へ。伝統と厳しい礼儀作法の習得。1976年結婚。長女・智翠子(市川翠扇)、長男・孝俊(十三代目團十郎)を出産。お嬢様育ちの枠を超え、梨園の妻としての基礎を短期間で確立。1980〜1990年代(30〜40代)
巨額負債の発覚親族の連帯保証債務などにより、自宅担保・借金返済危機。推計約19億〜20億円規模の債務。着物デザイン業を開始。夫の芸に一切影響を与えないよう、自らビジネスを興して完済を主導。2000〜2010年代(50〜60代)
闘病介護と世代交代十二代目の白血病発症、海老蔵の事件、小林麻央さんの逝去。2013年に夫と死別。長男一家の生活・育児を裏から献身的に補佐。相次ぐ家庭の危機にも沈黙を保ち、成田屋の看板と尊厳を死守。2020年代〜2026年(70代)
十三代目團十郎体制十三代目團十郎・八代目新之助襲名。次世代の本格育成。孫(麗禾・勸玄)の相談役。自身の着物ブランド・著書執筆継続。過度な介入を避け、健全な距離感を保つ「名門の長老」としての確立。
特筆すべきは、彼女が立ち上げた着物デザイン事業です。自身の審美眼を活かしたきものブランド「茶屋辻」のプロデュースや呉服販売の事業を展開し、年間数千万円ともいわれる利払いと元本返済を地道に続けました。当時のインタビューや手記において彼女は「成田屋の芸を止めないことが私の唯一の使命だった」と述懐しています。
小林 直樹
トレンドリサーチャー
シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。