デイゴの花が咲き乱れると不吉?名曲『島唄』に隠された衝撃の真相とは
1992年に発表され、日本のみならず世界的なスタンダードナンバーとなったTHE BOOMの『島唄』。冒頭に登場する「でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」という歌詞は、前述の台風の言い伝えを借景としながら、実際には日本の近代史上もっとも凄惨な悲劇を暗喩しています。
作詞・作曲を手掛けた宮沢和史氏は、当時の特番インタビューや手記において、初めて沖縄の地を訪れて「ひめゆり平和祈念資料館」で生存者の生の証言に触れた際の衝撃を赤裸々に告白しています。地下の暗黒に掘られたガマ(自然洞窟)の中で、米軍の火炎放射器や毒ガス弾に怯えながら自決へと追い込まれた少女たち。その凄惨な記憶を聞いた宮沢氏は、「本土の人間として、この歴史の痛みを後世に伝えなければならない」という激しい創作衝動に駆られたと語っています。
沖縄戦の地上戦が本格化したのは、1945年4月1日の米軍読谷上陸からでした。まさに旧暦の春から初夏、デイゴの花が沖縄本島を赤く染め上げていた季節と完全に重なります。「風を呼び、嵐が来た」の嵐とは、空と海を埋め尽くした艦砲射撃と爆弾の雨――すなわち「鉄の暴風」そのものを指しています。
歌詞の深層を読み解くと、その痛切さはより浮き彫りになります。 「でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が去った」 「みるく世(豊かで平和な世界)の なごりは遠く」 咲き誇る鮮血のようなデイゴの下で、20万人以上のかけがえのない命が散っていった事実。名曲『島唄』は、ただの哀愁漂うオキナワン・ポップスではなく、血塗られた戦場の記憶をデイゴの赤に重ねて永遠に風化させないための、魂のレクイエム(鎮魂歌)だったのです。