戊辰戦争とは何か?鳥羽伏見から五稜郭までの激闘と勝敗の真相【徹底解説】

戊辰戦争とは何か?鳥羽伏見から五稜郭までの激闘と勝敗の真相【徹底解説】の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

戊辰戦争における最大のハイライトであり、近代日本の命運を分けたのが「江戸城無血開城」です。

1868年3月、新政府軍は有栖川宮熾仁親王を大総督、西郷隆盛を参謀として東征軍を進発させ、3月15日を江戸城総攻撃の期日と定めていました。もし総攻撃が実行されていれば、木造家屋が密集する江戸は火の海となり、数万人規模の町人が命を落とし、英仏をはじめとする列強の軍事介入を招く危険性が極めて高い状態でした。

この壊滅的危機を回避させたのが、幕臣・勝海舟による捨て身の外交工作です。勝は山岡鉄舟を使者として駿府の西郷のもとへ派遣し、徳川慶喜の恭順の意志を伝達。そして総攻撃前日の3月14日、江戸の薩摩藩邸において西郷と勝の歴史的なトップ会談が行われました。

勝海舟は自著『氷川清話』の中で、西郷との会談を次のように回顧しています。

「西郷は私の言うことをじっと聞いていたが、少しも私見を挟まなかった。そして『よく分かりました。総攻撃は中止いたしましょう』と一言で決めてくれた。その腹の太さには感服した」

西郷が攻撃中止を決断した背景には、イギリス公使ハリー・パークスが「無抵抗の慶喜に対して武力攻撃を行うことは人道に反し、国際的信用を失う」と警告を発していた外交上の現実もありました。結果として江戸城は平和裏に引き渡され、徳川宗家は静岡70万石への減移封という形で存続。都市のインフラと人命が保全されたことは、その後の日本の急速な近代化を支える極めて重大な礎となりました。

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